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区切りの日

2008年04月05日

今年の2月、友達をひとり癌で亡くした。今日は彼女の49日。ここはアメリカだからもちろん49日という日を彼女の家族は知らない。でも私も日本人。彼女も日本人。私はひとりで彼女の事を思い、冥福を祈ろうと思う。
私は彼女とはアメリカに来てから知り合った。年齢的には私の母に近かったけど、ものすごく気が若くていつも元気で明るくて、周りを明るくしてくれる人。小さな子供が大好きで私の子供たちの事もいつも気にかけてくれていた。私の長男がけたけた笑った声が好きで、彼がハグをしてくれた・・・ということをいつまでも覚えてくれていて事あるごとにその事を懐かしそうに話していた。
2年ほど前に乳がんを患っていてそれは手術もして回復していたから私を含め友達一同忘れかけていた頃、今年の正月、脳に腫瘍が見つかった事を知らされた。もう治療のしようがないと・・・
それから私たちは交代で日本食を作ってもっていったり、話をしながら顔を見に行ったり・・・もう自分の病気のこと全部知っているのに彼女は相変わらず明るくてそれぞれの子供たちの事ばかり気にしてた。涙どころか泣き言のひとつも言わない。そんな彼女を見て私たちが隠れて泣いたものだ。
私が彼女の家で出されたういろうを初めて食べたと言ったら持たせてくれた。そんな彼女に何かしてあげたくて皆でおすしを食べに連れ出した事がある。その日、彼女は体調が思わしくないらしく、車いすから立ち上がるのも一苦労だったけど、「今日行かないともう行けなくなる様な気がするから」と言って着てくれた。私の真正面の席で美味しそうに満足そうにお寿司を食べていた彼女。「甘エビが食べたかった」と言いながら「誘ってくれてありがとう」って・・・この日が私が彼女の笑った顔を、生きている顔を見た最後になってしまった。そして彼女が外出したのも・・・
彼女の病気が、死がなんだか精神的にとてもきつくて、しばらく私自身どうしたんだろうって思うくらい無気力状態になってしまった。
でもそれは今日でお終いにしたい。そんな簡単に気持ちは切り替わらないと思うけど今日を区切りの日として悲しむのは終わろう。
彼女にはいろいろと教えてもらった。あの明るさや我慢強さはとても真似できない。でも彼女はその存在でここにいる日本人の友達に硬い絆を作ってくれた。彼女の事があって皆で姉妹同然で助け合っていきましょうと団結と言ったら変だけど、皆ひとりじゃないんだと分からせてくれた。
自分のこれからを考えさせられた。
彼女の病気を知り、千羽鶴を作ろうと折り紙を買いに言った時、Kiroroの生きてこそを偶然に聞いた。
彼女が亡くなって皆で集まった日、去年の歌の日カーニバルでKiroroが歌っている生きてこそをビデオで見た。そして今日、私はまたそのビデオで生きてこそを聞いた。
死とはまったく反対の歌だけど、だからこそ胸にしみる。
安らかに眠ってください。あなたの事は忘れないけど、また思い出して泣いてしまう日もあるかもしれないけど、これでひと区切り。


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